行動科学で見える社会 ―人の行動を変える“仕掛け”とは? 行動科学の実例と社会実装―

小さいけれど大きな影響力 ~ハウスフライ効果~

 たまたま目にしたハウスフライ効果についての事例が興味深かったため、一年程前に書店で購入したのが『勘違いが人を動かすー教養としての行動経済学入門ー』という書籍です。
 行動心理学は、自分の行動を客観的に見ることができ、気付かなかった心理状態を認識することができるので、個人的に非常に面白いと思っています。学生の頃、「人は、店に並ぶ商品の外装は他者が触れていて衛生的でないことを認識しているが、購入し、自分のものになったとたんに外装に口を付けながら商品を食べる」という話を聞いて、その通りだと衝撃を受けました。人の意識と行動は矛盾することが多いのだと感じます。本書は、そんな人間の心理が経済活動に与える影響を説明したものです。 

 ハウスフライ効果は、「一見すると小さなことが人の行動に大きな影響を及ぼす現象」と説明されています。本書では、オランダの空港の男子トイレの小便器の真ん中にハエが描かれていることで、尿はねの量が約5割も減り、清掃費の削減に繋がった事例が紹介されています。この事例は、2017年にノーベル経済学賞を受賞した経済学者リチャード・セイラーが定義した「ナッジ」の典型例としても有名です。

 ナッジとは「望ましい行動を簡単に、楽しく、自然に促す、環境における小さな変化」のことで、本書では、その結果得られる現象をハウスフライ効果と定義付けしているようです。
 言葉でお願いしてもなかなか変えられなかった人の行動を、一匹のハエの絵が変えたというのは非常に興味深いですよね。本書では、「日常生活には、私たちの行動を誘導しようとする様々な仕掛けがあふれている。そして、その一番の共犯者はあなた自身の脳なのだ。」という言葉にあるように、自分の意思で考え行動した結果だと思っていた様々な現象が、行動経済学の効果として紹介されています。

自己過信を味方に ~ダニング=クルーガー効果~

  次に、ダニング=クルーガー効果についてご紹介したいと思います。これは、「あるテーマについて少しだけ知識がある人は、自らの専門性を過大に評価しやすいという認知バイアスのこと」だそうです。認知バイアスとは、物事の判断が、直観やこれまでの経験に基づく先入観によって非合理的になる心理現象のことです。
 
 少し知識をつけると分かった気になるということは誰にでも経験があるのではないでしょうか。より深堀りしていくにつれて、細部にまで思考が行き届き、自分の無知さに気付くと同時に、それまでの自信を喪失する。己の無知に気付いているが故に、発言に慎重になるし、謙虚な態度になる。こう考えると、尊敬に値する人が謙虚な理由に納得してしまいます。正に“無知の知”。今になってようやく『ソクラテスの弁明』を読んでみたいと思うようになりました。

 けれども、ダニング=クルーガー効果は悪いことばかりではありません。自信過剰、自己過信、言葉にすると印象が悪いですが、革新的な取り組みへの熱量となり、新たな風を吹かせる原動力なのではないでしょうか。企業が新人や素人のアイディアを募るのは、経験と知識で凝り固まった組織に気付きを与える為なのかもしれません。そこで大切なことは、新しい考えを受け入れて咀嚼する柔軟性でしょうか。他者の考えを浅はかだと嘲笑することも、自分の考えに自信喪失して臆病になることも、企業や人間の成長には大きな妨げなのだと思います。

ここで心に留めたいと思った文章を引用させて頂きます。
●「知識が増えるにつれ、自分がまだ何も知らなかったことに気付く」
●「小さな違いが気になって思考が止まったり、言葉に詰まって反論できなくなったりしてしまう」
●「「人は自分を過信する傾向がある」とわかっていると、私たちは大局的に物事を見ることができる」
無鉄砲な勢いのある新しい風も、真面目で慎重な専門家も、客観的に自身を観察し、他者を尊重することが大切なのではないでしょうか。 

社会を変える行動科学

 2017年に環境省を事務局として、関係府省庁や地方公共団体、産業界や有識者等から成る産学政官民連携のオールジャパンの日本版ナッジ・ユニットBEST(Behavioral Sciences Team)という取組みが発足しました。日本版ナッジ・ユニットBESTは、ナッジやブーストを始めとする行動科学の知見に基づく取組みが、政策として、また、民間に早期に社会実装され、自立的に普及することを目的としているそうです。ナッジは冒頭でもご紹介しましたが、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャ(環境設計)のあらゆる要素のことであり、ブーストは、人々が主体的に良い選択ができるような能力を育成するアプローチを指します。

 このような取組みがなされているとは知りませんでしたが、なんと、2024年に閣議決定された『新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画 2024 改訂版』では、「荷主企業における物流統括管理者の配置義務付けや再配達削減に向けた取組等、荷主企業や消費者の行動変容を促す。」として、物流分野においてもナッジが組み込まれているというのです。荷主や荷受側の要望によって無償で行われていた作業に対し、料金を明示する取り組みもその一例です。その他諸々、今話題となっている社会変化の裏には、ナッジが隠れているのかもしれません。ご興味のある方は環境省が発行している日本版ナッジ・ユニット(BEST)についての資料をご参考ください。

 近年の社会変化は現在進行形で認識できる程大きなものだと感じます。その裏に行動科学の考え方が機能しているとすると、行動科学が持つ力は非常に大きいのかもしれません。    

 (文責:小出)

(参考)
ž   『勘違いが人を動かす -教養としての行動経済学入門-』、エヴァ・ファン・デン・ブルック&ティム・デン・ハイヤー著、児島 修訳、ダイヤモンド社
ž   日本版ナッジ・ユニット(BEST)について(環境省):
https://www.env.go.jp/earth/best.html 
ž   ナッジを始めとする行動科学の知見の適切な活用及び普及に向けた戦略(ナッジ戦略):https://www.env.go.jp/content/000234751.pdf
ž   新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2024年改訂版(案):
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon//kaigi/minutes/2024/0621/shiryo_01.pdf
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